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ピラカンサ -剪定って素晴らしい(後編)- [庭木]

生意気にも一応前回から続いてます。
願わくば先日の記事をお読みいただいた上で読んでください。
てか、そうでないとかなり頭のおかしい人みたいになるので・・・って前回から見ても十分おかしい?
そ、そんなの関係ねぇ!・・・はい、すいません。

で続き。

かくしてスズメバチが服に着地した私は、クールを装いつつも心拍数は跳ね上がっていた。
前門のピラカンサ・後門の蚊!泣きっ面にスズメバチ!!

そんな中で私が選び出した答え、それはそのままスズメバチ氏を着けておくことだった。
なんかもう顔に妙な触覚。蚊が何匹か着いている。
でもいいさ。もう吸血なんて小さな損失だ。
そこを気にせずクリアーした私はスズメバチと蚊をくっつけながら静かに脚立を下りる。

だがもうあの日はそういう日だったと思うしかない。
ゆっくり足を下段に下ろした途端、脚立が更にバランスを崩した。
「ヴ!」
なんかもう五十音にない声。

脚立は左に倒れようとした。しかし私は脚立上で思い切り右に身体を傾けている。
もはや筋力なしでは重心を支えきれない状態へと陥る。
無理矢理ピラカンサとは逆の向きに力を注がないと、つまりニュートラルな状態になってしまえば100%倒れる状態になってしまった。

プルプルと震える私。
スズメバチ氏にとってはちょっとした地震だろう。
・・いや、この小刻みの振動がスズメバチに私からの「敵意」と解釈されないだろうか!?
だとしたら脅威。私はこんなに和を望む人間なのに。生き物みんなと仲良くしたいのに!

窮地に陥った人間がした行為は実に単純明快なものだった。
「お、お母さん、お母さーーーん!!!!」

久しぶりに母親を純粋な思いで呼んだ。
こんなに切なる思いで母を呼んだのは小学校の頃おもらしをしたとき以来じゃないだろうか。
幼児期の素直な気持ちに近い。単純に私は母性を求めたのだ。

とっさに近くで洗濯物を干していた母親がやってくる。
流石に生まれてからの付き合い、子供の鬼気迫る様子を肌で感じたのだろう。
「ど、どうしたの!?」

「な、なんとかしてくれ~!!」
かつて学生時代論理派で知れた私の姿はもうなかった。
ただ何の説明も具体的な事態打開の提案もなく、ただただ単純に救いを求めた。

母はグイと手で全体重を掛け脚立の傾きを修正し、早く降りるよう言った。
「で、でもスズメバチが・・・」
「そんなもん、あんたがサッと脚立から降りて走って振り切れるでしょう!」
もうその意見が正しいとか正しくないとか、そんな冷静な判断は出来なかった。
耳に入ってきた言葉を純粋に鵜呑みし、脚立から素早く降りて、全速力で茂みから出、見渡しの良い庭の中央に躍り出た。

どうもスズメバチはいないようだった。私は一息ついた。
と、直ぐに後ろを振り返る。
「母は!?」
もしやスズメバチ氏に殺られて? ギャーーー!!?

そんな心配をよそに母は茂みの中からのんびり歩いてきた。なにやってんだか、と怪訝そうな顔で。
私は胸を撫で下ろした。

かくして私はピラカンサのトゲによって身体中が穴だらけになることも、スズメバチに刺され致命的な負傷を負うこともなく生還した。
顔は痒いけれどこれも生き延びたからこそ・・・嗚呼生きているって素晴らしい!

しかしふと考えると、この一見くだらない剪定のドタバタにも「自然」の論理が成立していたことに気付いた。

自分の枝を切ろうとする人間に対して、トゲという武器で抵抗したピラカンサ。
身動きの取れない人間の血を狙った蚊。
花色と誤認し人間の黄色いシャツに飛来したスズメバチ。
見栄えが悪いからとピラカンサの枝を切ろうとした人間。

この中で生きるため以外の行為をしていたのは誰か。
そう人間だけだ。
「長い枝が伸びていたら庭が格好悪くなっちゃうから」という理由だけでピラカンサの身体を傷つけようとしたのだ。
他の連中は必死だ。
当たり前だ。自分を守るため、食事を得るため皆必死だ。
考えようによっては蚊もスズメバチも住処を与えてもらっている植物を守るために共同戦線を張った、とも言えるのではないか。

そう思えば、甘っちょろい覚悟で枝を切ろうとした私が退散させられても然るべきなのかもしれない。
生きるため死んでも良いくらいの気で枝を切ろうとしなければ彼らに対して失礼なのかもしれない。

ただ唯一の救いは、退散させられた人間の方にも、母が子を守ったという「自然」の論理があったことだった。

「脚立の安定が悪くて私がトゲだらけの樹に倒れそうになった話」。
ただこの中にも、見方によっては地球に生きる生物たちの生き様が存在しているような気がした。

・・・ああ
最後に一言。
お母さんありがとう。お誕生日おめでとう。


ピラカンサ -剪定って素晴らしい(前編)- [庭木]

そろそろ庭木の剪定の時期である。
剪定とは簡単に言えば「枝の管理」。
春~夏の間に生長して伸びすぎた枝、込み合っている枝など、要するに樹の格好を乱す枝を切って整理する作業である。

我が家ではもう庭木の剪定を始めている。
「もう」と言うのも、本来はこの作業は完全に落葉してから行う作業であり、まだ早いのだ。
ただ我が家の場合、後に多量の梨の樹の剪定が控えているのでちょっとフライング気味だが早々と始めてしまう。

そんなわけなので我が庭の選定は大分進んでおり、今日は「ピラカンサ」の剪定を始めた。

まだまだ葉も緑だし実も鈴なりに成っているが・・・すまない!、と作業を始める。

この樹こんな可愛らしい実を付けているが、恐ろしいことに枝の先端に鋭いトゲを持つ。

勿論実を鳥や獣から守るための進化なのだろうが、こういう樹の剪定はたまったもんじゃない。
特に細かい枝が生えた込み合った部分をカットするときは地獄だ。
慣れないうちは出血は当たり前、いやいや慣れても気を抜くと手や指をグサッいく。

背も高く、脚立を用いて上部の枝は切らねばならない。
「めんどくさいヤツだなぁ・・・」と思いながら、4M弱はある脚立を最上段近くまで上がりトゲを避けつつ枝を切っていた。

すると蚊が顔の周りに集まり始めた。丁度茂みのような場所なので藪蚊もまだ多く居る。
「プ~ン」とあの嫌な羽音。
(ええい、うっとおしい!)と心の中で叫び、鋏を持った手を振るう。
すると「グラリ」と脚立が傾く。地面はぬかるみのある場所だたので三脚のバランスが崩れたようだ。

「うわっ!」
寸でのところで上手く体重移動でバランスを取り、何とか倒れずに済む。
だが「何とか」。斜めに傾いた妙な格好。あと少しでも重心がずれれば倒れかねない。
しかも不幸なことに倒れる方向は、あのトゲだらけのピラカンサの方。
「あ、穴だらけになってまう!」と何故かニセ関西弁で叫ぶ。

静かに静かにバランスを取りながら降りるしかない。
ゆっくりと脚立を降りようとする私。しかしそこに迫るは茂みの蚊の群れ。

イラッ!・・・しかし落ち着け。
冷静に考えればどちらが損かと考えれば「穴だらけ>かゆい」という不等式が成り立つ。
かゆいのはヤダ。しかしここは彼らに血を分けてやろうという寛容な気持ちで望もうではないか。
結局「穴だらけになったとき多量に出血する量>蚊の吸血量」だ。
痛みの量・失う血の量、これは合理的に考えて蚊にさされた方が良いのではないか。
蚊だって喜ぶし、私も身体に多量の穴が開かない。一石二鳥だ!!

私は冷静に今考えると明らかに頭のおかしい合理性に納得し、蚊にさされながら静かに脚立を下り始めた。
ただ不幸なことは続くものである。
「ブーン」力強い羽音と共にスズメバチがやってきた。

「ギャーーー!!」普段なら叫んだろう。
ただその時の私は先述の通り妙な冷静さがあった。

生物で「生きるため以外に自分の力を使うのは人間だけ」と言われる。
食を取るため、また我が身を守るため、そのためにしか他の動物は自分の持つ力を使わないのである。

この静かに顔を蚊に刺されながら静かに脚立を下りようとする私、はスズメバチにとって「敵」か?
いやいや少なくとも味方ではないものの、害を与える存在では決して無い。
即ち、私はスズメバチ氏の飛行を恐れることはないのだ。
(攻撃はしない、静かにしていよう、スズメバチ?あぁ関係ない関係ない
今風に言えば「そんなの関係ねぇ?」 ふっ余裕だ。)

しかし不幸は重なった。
私の着ているシャツが今日に限って何故か黄色だったのだ。
虫には好む色があり、蜂は花の色で多い黄色を好む傾向がある。
何で私は今日に限って高校時代に買った原色のシャツを着ているのだろう。わからない。
かくしてスズメバチ氏は私の背中に止まった。

つづく

※つづいていいものだろうか・・・


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