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スーパーの野菜はなぜまずいのか(1) [農業]

あらためまして自己紹介しますと、私は農家でもあります。
直売店にいて果物(主にナシですが)を売っていますと、お客さんから

「スーパーのは本当に美味しくないのよ」

という話を聞くことが結構あります。

率直な感想として「まあそりゃそうだよな」と思います。
直売店の収穫直後の商品と比べたら仕方ありません。
もちろん一概には言えませんが、ほぼ正しいでしょう。

そんなわけで今回より数何に分けてこの理由を追ってみたいと思います。


さてご存知の方も多いでしょうが、青果物は一般的に下図のようなルートで生活者の手に渡ります。

農産物販路.jpg

青・黄色矢印で示したように直売をおこなう販路も増えてはいますが、平成17年の段階では日本の青果物流通の65%以上は白・赤矢印の市場を経由した流通に支えられています(農水省「食料需給表」より)。

「生産者(農家など)」は「農協」に間に入ってもらい荷をまとめ、それらを市場に拠点を置く「卸売業者」に出荷します。
荷を受け取った卸売業者は、それらをセリや相対取引などで「仲卸業者」に売ります。
卸が扱う荷物はとても多く、スーパーや八百屋さんなど「小売業者」が小さな単位で買うのには適さないため、あいだに仲卸が入ってある程度荷を小分けしているのです。
また仲卸には品物の良し悪しの目利きができる職人肌のプロも多く、卸と小売の間のフィルター的役割を果たしていると言ってもいいでしょう。
そして小売業者が仲卸業者から荷を購入し、お店の店頭に並べられ、私たちが購入します。

これがよくある青果物の流通ルートです。

ただし、こうして多くの人の手を介していると時間がかかります。
まず農家が収穫後、出荷のため選別・梱包して1日。
翌日運送業者が集荷して市場まで運んで1日。
翌々日市場で取引が行われ、小売業者の手にやっと渡り、店先に陳列されます。

こう考えると生活者が手に入れられるのは、収穫してから2日経過した農作物。
ただこれはあくまで「最短で」ということ。
これからどれだけ小売店の棚に並んでいるかは知る由もありません。
小売の方々も商売ですから元を取るために何日かは置くでしょう。
ただそれは別に責められることではなく、仕方のないことです。

日数が経過しているものを食べたら、そりゃ鮮度が落ちていて当たり前。
農作物は収穫後も呼吸をして、からだを維持しているからです。

親株に付いていたときは、根や葉から養分が供給され生長していました。
しかし収穫後はそれはありません。
そういった状態になると青果物は用意できる養分を使って呼吸をします。
果実内などに貯蓄された成分を消費してからだを維持するのです。
この消費された成分は、私たちが食べるはずだったもの。

つまり、収穫されてから私たちの口に入るまでの時間が長ければ長いほど、青果物内の成分は失われていってしまうのです。
もちろんこの成分の中には私たちが「おいしい」と感じる糖分やアミノ酸とか、「瑞々しい」と感じる水分も含まれています。
また収穫物自身が出すエチレンなどの植物ホルモンの影響で、果肉は次第に柔らかくなり、歯ごたえのない食感になってしまうこともあります。

このような理由から、いわゆる「スーパーのは美味しくない」という現象が起きてしまうのです。

しかし、流通に時間がかかることだけがこの原因はありません。
実は「農家が美味しくないものを出している」という一面もあるからです。

これについてはまた後日書きたいと思います。


注)
ここに書かれたことが「全て」ではないことはあしからず
一般論の1つとしてご理解ください
また足りない部分は次回以降の説明で補足いたします

※この記事は私の仕事用のブログ「農業よもやまばなし」からの引用です
 試験的にこちらにも載せてみました(汗

バイオエタノールってどうなの? -万物の光と影- [農業]

明日から、
「貴方が普段食べている食事の何割かがなくなって、車の燃料になります」
と言われたらどう思うだろうか。

私は嫌だ。
だってお腹減るもん。そ~んなに豊かな食事はしてないって。

皆少なからずそんなふうに思うのではないか。
現実的には私たち飽食日本人はそりゃ2割くらいカットしても何とかなるのだろうが、でももっと貧しい国の人たちってこういった問題を突きつけられたらどうだろうか。
「車持ってねえよ。てかそんな金もないし。てかてか道路ないし。」みたいな。
そんな自分達にはメリットも無いことに食事を使われて・・・本当にお先真っ暗じゃないだろうか。
今回はそんな話。

「バイオエタノール」というものがある。

バイオエタノール
植物を原料とするエチルアルコール。輸送用燃料などに用いられる。バイオマス-エタノール。〔燃焼によって発生する二酸化炭素は原料の植物が光合成によって大気から吸収したもので,石油とは異なり大気中の二酸化炭素の総体量は変わらないとされる〕

                                          三省堂「大辞林第二版」より抜粋

お酒好きな人ならわかると思うのだが、ま、簡単に言うと本格焼酎みたいなもん。
米・麦・芋からお酒をつくりましたよ~、みたいな。
バイオエタノールは小麦、トウモロコシ、サトウキビとかを原料に発酵させてつくられた植物由来のアルコールのことである。
今これがガソリンの代替として注目されており、車社会となったこの世界で「地球に優しいエネルギー」として台頭しつつあるのだ。
なるほど化石燃料を用いた排気ガスを出すガソリンよりは二酸化炭素の増加という面で見るならば確かに「エコロジー」かもしれない。

で・も・
反面、このエネルギーを使うことでトウモロコシ・小麦の「食べるために使われていたぶん」は減ることになる。
そう、そこで冒頭で話をしたような事態が起こる。
もともとトウモロコシとかって「人間が食べるため」とか「家畜のエサにするため」につくられていた野菜。
それをここにきて「ガソリンの代わりに使いまーす」って言われたらどうなんでしょう。

アメリカは元々トウモロコシのつくりすぎ・余りすぎ問題があってバイオ燃料に注目したような背景があるので別にいいのだが、一方で元々食べるための野菜をつくっていた貧しい国々がここにきて急に「バイオエタノールのための野菜」をつくりはじめちゃった問題が生じている。

すると・・・あれ、食べ物が足りない。家畜のエサが足りない。
あれ、地球に優しい燃料がいっぱい出来始めたのに、何故だろう地球人のお腹はいっぱいにならないぞ??

何で農家が食べ物をつくるのを止めて燃料をつくるかといえば、それは普通に「食べ物」をつくるより「儲かる」から。

そりゃあ「儲かる」方に目を向けるのは、生産者として当然の理屈。
農家って別にボランティアじゃないし。ちゃんとしたビジネス。
植物を育てて地球の緑をいっぱいにするために仕事をしているわけじゃない。
生きるためにお金を稼ぐために植物をつくっているのだ。

でも何かおかしい話。
人間が生きる地球を守り、ひいては人間自体を守るため、エコロジーのために考え出されたバイオエタノールの利用なのに、ぐるりと回って人間を苦しめている。

エコって何だろう。地球に優しいってなんだろう。
私はエコの本質とは「今まで無駄になっていたものを再利用し、新たな代替手段として用いること」だと思うのだが。
今、「他の分野で重要な役割を果たしているものを無理矢理別の分野にひっぱってくること」じゃないと思うんだが。
エコロジーを唄いながら他のものに弊害を与えるって本当に地球に優しいのかなあ・・・。

エコロジーって言葉は清々しいけど、突き詰めちゃうと「人間が長く地球で暮らしたい」ってことだと思う。
だとするならば、一つの技術としてバイオエタノールは評価できるかもしれないが、今の段階では地球を救うための救世主のような手段では決してないように思う。

だいたいの物事には光の部分と影の部分がある。
でも得てして光というものはまぶしくて、影の部分を打ち消してしまいがちだ。
光の部分が強ければ強いほどその傾向は強い。

「良いところもある、でも悪いところもあるんだよ」

TVのニュースとかってそういう目線でいつも報道してほしい。
こんなブログなんかよりたくさんの人が見て、そしてそれを見て何か考えているんだからこそ、様々な見方で物事を取り扱ってほしい。
老若男女、「みんなが考えられる機会」を提供してほしい。

時には、あえて「影」を注目することで「光」の大切さ・ありがたみを皆がわかることだってあると思うから。

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関連リンク:
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%D0%A5%A4%A5%AA%A5%A8%A5%BF%A5%CE%A1%BC%A5%EB


花食らわば皿まで -エディブルフラワー- [農業]

花を食べる、と言われ貴方はどう思うだろうか。
菜の花やフキのことを考えればそんなに違和感の無い話だろうが・・・
パンジーの花びらを目の前に出されたら違和感無く食べられるか?
正直ちょっと躊躇してしまうだろう。

先日ガーデンショウに友人と行ったときのことだ。
様々な企業や生産者が新商品の花や最新栽培技術を紹介する展示会で例年幕張メッセで行われる。
そこに面白いブースもあった。

そのブースは実に異様な光景で、お皿に色彩様々なパンジー、キンギョソウ、サクラソウ、バラの花が山盛りになって置かれているのである。
それを小皿に取り分けて、「ハイ美味しいよ」と給仕の女性に渡される。
見栄えは非常に良いのだが・・・う、う~ん。
正直抵抗はある。

しかし実際口にしてみるとさほど違和感はなく、葉野菜のような食感だ。
花びらを食べたのは初めてだが、少し苦味があるが大した嫌気はない。
彩りは豊かなのでサラダを盛り付ける際に添えると明るい印象になり良いかもしれない。

この花食は意外とその筋では確立していて、エディブルフラワーというものが食材のカテゴリとして存在する。
eat(食べる) able(可能な)flower(花)で、「eatableflower(エディブルフラワー)」である。

新たな彼女たちとの付き合い方をまた見つけたような感覚である。
流石に私は家の花々を食べようとは思わないが、
(実際エディブルフラワーは有機無農薬栽培で食用として栽培されたもので庭にあるものとは違う)
面白い園芸への切り口だな、という印象を受けた。
こういったところからでも花を美しいと思い、育ててみたいと思ってくれるのも良い趣味の園芸へのキッカケかもしれない。
私は何だか嬉しくなった。

そう新たな発見をした感覚で、花を食べ終わり友人に話しかけた。
「結構イケるねー!」と喜ぶ友人。
そう笑顔をつくった友の歯には色とりどりの花々がこびり付いていた・・・。

気が付けば周りはそんな大人だらけ。
この光景ってどうなんだろう・・・。

これが何ら違和感なく受け入れられたときが花食文化が受け入れられるときかのかもしれない。

・参照サイト:今が旬とっておきおケイコ「エディブルフラワー」
http://www.keikotomanabu.net/hobby/syun/c30-041_014_02.html



暖冬と男達の傲慢さと [農業]

「今年の冬は暖冬」
というわけで植物扱う業界ではとんでもないことになっているのは間違いない。

皆さんもニュースで目にし耳にしたろうが、野菜の大量廃棄。
温暖な秋の気候のおかげ&今年は台風の被害が少なかったことも手伝って秋野菜は大豊作。
暖かいと鍋物需要も増えず、ハクサイやダイコンなどの流通は滞る。
また晩の方の品種が先だって市場に出てしまっていることから考えると、今度は年明けの値崩れが懸念される。

まあ毎年豊作貧乏みたいなことは何処かしらの地域では起きていることではある。
実際今回みたいな「農家が自分の首を絞めねばならない状況に対してお金を支払いましょう」という価格保障の制度が実施されて以来30余年、それが用いられなかった年は一度しかない。
それにしても今年は多いだろ!ってことで特別注目されているのである。

観賞する花や樹木も然り、と皆さんも思っているだろう。
なんせ紅葉が遅かった。暖かかったから樹木が葉を落とそうとしないのだ。
もう菜の花が産地では咲いている。千葉の南房総でも1月下旬からだろうに。

自分のお庭でも感じた方が多いのではないか。
日本スイセンが凄まじい勢いで生長し開花した。早熟も甚だしい。
フキがもう開花しそうだ。してもいいけどこれから冷え込んだら確実に殺られる。早々に食わねばならない。
フクジュソウも危ない。もうはちきれんばかりの蕾を地表に出している。

彼女達は我々と違って理性をもったわけではない。
温度とか湿度とか日長とか。そういった尺度でしか世の趨勢を図れないのである。

だがそれ以外の尺度がわからない彼女達は果たして愚かだろうか。
否、そうではない。
元々彼女達がそうだとわかっていながらも、おかしな環境をつくりだしてしまった我ら人間こそが愚かなのだ。

人間同士も人間と自然も結局は何処かしらで共存して生きているのである。
欠点を補い合い、相互補完し皆生きている。
こんな報道が大きくされた年こそ見つめなおしてほしい。
地球環境が今大きく変わりつつあるということを。
それが我らの生活に大きく影を落としているということを。

そこで遺伝子操作でもして、冬暖かくてもつくれる野菜や花を開発するというのは「進歩」ではない「逃げ」だ。

不備はない女性を個人の価値観で無理矢理変えようとするのは、「優しさ」や「善意」でなく「傲慢」である。


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